鳥居の話
 鳥居の起源  
  鳥居とは神が君臨する神域と人間が住む俗界を区画するもので、神社に常設の社殿が登場する以前から存在した。つまり社殿が無くとも鳥居があればそこが神の神域、すなわち神社になるのだ。今でも鎮守の杜の入り口に鳥居だけが建てられ、本殿がない神社は各地に見ることが出来る。
  鳥居のルーツについてさまざまな説がある。 
@インドのストゥーバ(仏舎利をおさめた仏塔)の前にあるトラーナという門があるが、この が鳥居に似ており、また、トラーナという音もトリイに似ている事からこれが鳥居の起源であるという説
A中国で宮城や陵墓の前に建てられた華表〈かひょう〉という門が鳥居の起源だとする説。華表の字に「とりい」という訓をあてることもあり、華表というのは鳥居の中国語訳にもなっている。
B日本では古くから2本の柱の上部に注連縄を渡した「しめ柱」というものがあり、これが鳥居の原型だとする説。
C『古事記』に次のような神話がある。天照大神が天岩戸に隠れた時に、神々は天岩戸の 前で「常世の長鳴き鳥(ニワトリの古称)」を鳴かせて岩戸を開き、大御神を引っ張り出そうとした。この鳥を止まらせるために作った止まり木が鳥居の起源であるという。現在でも止まり木に鶏を止まらせて鳴き声を競う神事が各地で行なわれているのは、この故事にちなんだものである。このことから「鳥の止まり居るところ」というのが鳥居の語源であると いう。また鳥居を通って神域に入っていくということから、「通り入る」という言葉から転化したとも言われている。
  いずれにしても鳥居は俗界と神域を区画する結界として太古の昔から神社には欠かす事の出来ない存在だったものと考えられている。平安時代の『延喜式』(えんぎしき:神社の社格などを示した古文書)には各神社が社格に応じた鳥居を構えるように定めている。
日本石材工業新聞 第1663号より抜粋

【筆者紹介】瓜生 中氏
        早稲田大学大学院終了。東洋哲学専攻。
        仏教・インド思想関係の研究、全国各地での講演や、
        執筆活動を行い現在に至る
  石造鳥居の初期の遺品としては、山形市小立、同成沢、天童市荒谷の3箇所の鳥居が有名で、何れも平安時代後期の造立である。この三鳥居は、柱間の広さに対して背が低く、石材は太くて全体に規模が小さいのが特徴である。江戸時代以前のものは全国的に見ても比較的少なく、山形県、兵庫県、佐賀県に偏った感がある。
  鳥居は、左右二本の柱の上に笠木を渡し、その下に柱を連結する貫を入れたものが基本形。寸法割り出しには一定の法則があり、柱の直径の十倍が柱の全長となる。島木、笠木の長さは柱径の15倍、高さは1.5倍(反り増し)。左右の柱心は柱径の9倍又は10倍(ちなみに↓図面は9倍)。貫と島木の間隔は直径と同じ。貫の大きさは0.8倍×0.4倍となる。

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